生き方追求ブログ

色々試行錯誤しながら自分自身の生き方をマイペースに追求するブログなのです。

会社員時代末期・・・

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内部の罵り合いは日常茶飯事。

業務内容も効率化のため、徹底的に分業化され、

モノづくりの面白みは無くなり、

製品の売上は減る一方・・・

自分が作った製品をユーザーは使ってくれなくなっていく・・・

 

そのような状況で徐々に私のモチベーションは奈落の底まで落ちていっていきました。

特に『仕事=人生のミッション』とまで考えていた私は

この状況の中、人生の意義を見いだせなくなっていました。

 

実はこの時、密かに転職活動もしていました。

転職エージェントから仕事をいくつか紹介して頂きましたが、

『会社が変わったとしても

 今と同じ状況になる可能性は十二分にあるから、

 結局今と本質的には変わらないのじゃないか??』

という思いが拭えず、転職することはありませんでした。

 

そんなこんなで、うだうだと、悶々として毎日を過ごしていたのですが、

そんな私の気持ちを会社から離す決定的なことが起きます。

 

状況が悪くなっていく中、

会社は社員全員にインバスケットという研修を受けさせます。

短時間に問題のクリティカルな課題を抽出し、

短時間に解決する能力を測る研修です。

 

さらに問題を解くだけはなく、

自分の検討内容を皆の前で発表し、

内容についてディスカッションするという流れでした。

 

その場には後ほど内容を査定するためにカメラが置いてあり、

それを操作する無愛想なおっさん(失礼)がいて、

その前でプレゼンをしなければいけないのでした。

 

幾人かの後に私の番が来て、プレゼンを始めたのですが、

心の中でこんなことを考えていました。

 

『なんでこんなカメラの前でプレゼンさせられてんだ??

 今、必要なことってこんなことなのか??

 ああ・・・もう無理だ・・・会社を辞めよう・・・』

 

研修自体は決して悪いものではなかったのですが、

会社が『人』よりも単純に『仕事の処理能力』を重視する方針に変わっていくように

私には感じられ、自分はもうついていけないと思わさせられたのです。

 

『こんな方針に進んでいくならば、

 ヤル気のない自分は会社に必要ないし、

 辞めたほうが会社にとってもいいのだろうな・・・』

 

貯まるに貯まった私の辞めるメータの閾値はこの時超えてしまったのです。

 

でも、辞めてどうする?転職?

 

そんな中、私の価値観を根底から覆すある人を知ることになるのです・・・

 

中堅エンジニア時代~忍び寄る現実~

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入社して数年経ち、

私は中堅エンジニアと言っていいほどの技術を身に着けていました。

製品チーム内でも重要なブロックを一任されるほどの信頼も得ており、

充実したエンジニア生活を送っていました。

 

しかし、ある異変も感じていました。

開発した製品の売上状況について

ミーティングで報告される時があったのですが、

徐々に下がっているようであり、どうも芳しくない・・・

新しい製品を開発する時も第一目標はとにかく原価低減。

目立った新規技術も無いローコスト版。

『なんかおかしいぞ・・・これで他社に勝てるのか?』

そんなことを私も感じていたのですが、実際の状況はもっと酷かったようです。

 

それまでは私の担当していた製品はあるカテゴリにおいて

圧倒的なシェアを誇っていたのですが、

他社に技術的に徐々に追いつかれ、負けてしまう寸前の状態でした。

そんな状況でマーケティングチームの出した方針は

『コストを抑え、価格で勝負!』でした。

しかし、その後、他社に技術的にも決定打となる製品を出されてしまい、

私がいたチームはその分野から徹底を余儀なくされました。

 

それまで私は深夜、

それこそ日付が変わってからも仕事をし続ける毎日を送っていました。

でも、頑張ったとしても価値のあるものを作らないと、

使ってもらえないということについて知らしめられました。

 

『価値のあるコトに対して、エネルギーを注ぐ』

今になって振り返るとそれが重要だったと思います。

 

その後、私が担当していた製品だけでなく、

会社としても徐々に売上が下がっていきました。

M&Aを行い会社名が変わったり、

分野の撤退やある部門の分社化もしましたが、

 効果が無く、状況が好転することはありませんでした。

 

そして、ついに会社は禁断の決断をすることになります。

そうです。

リストラです。

ある一定の年代以上に対し、リストラの勧告がなされました。

徐々に周りの年配の方々が消えていきました。

お世話になった先輩や上司も会社を去っていきました・・・

 

そんな中でも私は製品開発を続けていましたが、

以前経験した撤退以降、感じていたことがありました。

『自分は本当に価値のあるモノを作っているのだろうか?』

『単に叩き売りされるようなモノを作っていないか?』

『本当に自分の人生をかける仕事をしているのか?』

会社の状況に加え、そんな疑問を抱えるようになり、

私のモチベーションも徐々に下がっていきました。

 

それに合わせて、さらに私のモチベーションを下げることが発生します。

会社の雰囲気が悪くなっていき、

部署間やチーム間で罵り合いや揉めることが多くなっていったのですが、

ついには同じ部署内でも罵り合いや暴言を聞くようになっていきました。

間接的に自分への批判をわざと聞こえるように言う輩もいました。

 

『何のためにこの仕事をしているのか?』

私は仕事の意味が見いだせず、心が折れる寸前でした・・・

 

若手エンジニア時代

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部署配属され、私はいよいよ働き始めました。

『優秀な先輩方とともに切磋琢磨し、特許もたくさん発表し、

 たくさんの人に使われる製品を世に出すぞ!!!』

私は当初相当に意気込んでいました。

 

しかし、私が配属されたチームは溢れかえる私のヤル気とは反して

かなり緩~い雰囲気なのでした。

 

  • 週に何度も呑み会がある
  • 基本的に仕事が振られないので
  • 頑張っていると『そんなに頑張らなくていいよ』と諭される

 

今となって考えてみると非常にイイカンジの部署でしたが、

滅茶苦茶頑張る気マンマンだった私は出鼻をくじかれる思いでした。

あまりにも暇だったので、週一でグループのリーダに

『いい加減仕事下さい。。。』

などと言っていたものです。

※それでも仕事はくれませんでしたが・・・

 

当初はそんな感じで暇々な毎日だったのですが、そんな生活はいつまでも続きません。

二年目になるとこれまで仕事で得てきた内容を

重役の前で発表するといったイベントがあるのです。

 

さすがにこれまでろくに仕事が無かった私にも

このイベントに向けてある程度、骨のあるミッションが与えられました。

それはある新製品に搭載するIPの設計でした。

仕様設計から始まり、CAD上での設計データの作成、実機での評価などを

ようやく携わることが出来たのです。

全てが初めてだったので、滅茶苦茶大変でしたが、

その中でも設計の楽しさを感じていました。

毎日深夜まで設計!検証!評価!

あまりにも頑張りすぎて体を壊してしまったりもしたのですが、

何とか形にして発表まで漕ぎ着けたのです。

私は人前で発表するのが大変苦手でしたが、

なんとか発表を終わらせることが出来、ようやく一人前になった気がしました。

※今思い返すとまだまだ半人前でしたが・・・

 

これ以降色々な人と色々な仕事に携わり、設計者として技術を磨いていきました。

その中で何件が特許も発表することが出来ました。

自分は何となく

100%マンゾクな人生なわけじゃないけど、

 このまま半導体設計者として人生を歩んでいくのだな・・・

と、仄かな諦めとそこそこの満足感を抱きつつ毎日を過ごしていたのです。

 

しかし、私はその考えを後に改めることになってしまいます。

当時、日本の半導体業界は徐々に状況が悪くなっていった真っ最中でした。

業界では対応するために分社化やM&Aが盛んになっていきました。

私が所属していた会社も例外ではなく、

徐々に社員にまで影響が出てくるようになります・・・

 

ついに始まった会社生活

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なんとなく半導体の研究室に入った私は色々経験した後、

一応、第一候補半導体メーカの内定をゲットすることが出来ました。

この時は『本当にやったぞっ!!!!』と思ったものです。

 

内定が決まり親に連絡したところ、

『あまり有名じゃなくてもお前がやりたい会社だったら一生懸命頑張るのだよ・・・』

と言われました。

そこそこ業界内では有名な会社だったのですが、

一般にはあまり知られていなかった会社だったので、

親は小さいベンチャー起業の内定をとったと思ったようです。(苦笑)

 

何はともあれ無事大学院も卒業した私は、

希望を胸に抱きつつ半導体メーカに入社しました。

 

内定式、同期の仲間、寮生活。。。

入社当初は本当に楽しかった記憶しかありません。

と言うのも、研修ばかりで仕事もなく同期と遊ぶ毎日でしたからね!!(苦笑)

 

とは言え、そんな楽しい時間はいつまで続く訳ではありません。。。

入社して一ヶ月もすると部署に配属されます。

私は当初希望していた部署があったのですが、

第一希望ではない部署に配属されました。

多少凹みましたが、

『仕事のエッセンスは一緒だろう。』

と気持ちを切り替え、

『優秀な先輩達から色々を教えてもらい、

 最高の環境で仕事を一生懸命頑張って、

 絶対良いモノをつくり上げるぞ!!

 これからが自分の人生の始まりだぁっ!!!!』

と、胸をときめかせたのです。

 

でも現実は自分の予想と違っていたのです。。。

大学院生活、インターン、そして就職へ

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学部生での卒論は熾烈を極めるものでしたが、

院生になると教授は我々学生に研究のススメ方を任せ、

その指導の矛先を新たな学部生に対し向けるようになりました。

おかげ様で私は悠々自適な研究生活を送っておりました。

 

そんな中、とあるメーカから研究室へインターンの勧誘があり、

何の因果か私もそのメンバーの一員に選ばれました。

しかもナント海外です。

良い経験ができると考え、

教授から打診された際、私は二つ返事で行くことを決めました。

 

現地に飛び、実際にインターンが開始したのですが、

そこでの上司の方はノープランだったらしく、

具体的な業務に着くことはありませんでした。

ですが、毎日、社内のミーティングに参加させてもらったり、

現地のエンジニアとディスカッションさせてもらったりなど、

とても良い経験をすることが出来ました。

(苦手な英語でのコミュニケーションはかなり大変でしたが・・・)

特に印象に残っているのは、インターン中のお世話になった上司との会話です。

仕事に対する考え方や、業務上の喜びや大変なことなど教えてもらいました。

特に今でも心に残っているのは、以下の言葉です。

 

『会社で働く人のモチベーションは異なる。

 仕事に対して全身全霊をかける人もいれば、

 仕事はホドホドにして、家族との時間を重視する人もいる。

 その両方の価値観を認めることが必要だ。』

 

当時は自分が仕事するなら、全身全霊をかけたいと思っていたのですが、

今ならこの言葉が納得できます・・・

 

ですがこの時の経験がより一層、

『会社でエンジニアとして働きたい!!』

という思いに拍車をかけることになりました。

 

その一年後、私は就職活動をし、ある会社に入社します。

国内のとある半導体メーカーです。

海外インターンの経験を胸に、インターン時の上司を目指し、

一流のエンジニアになろうと、意気揚々とその会社の門と叩いたのです。

その後、どんな人生が待っているか知らずに・・・

 

劣悪な研究室時代(大学4年~大学院)

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大学4年時、

私はよく考えないまま、ノリで半導体を扱う研究室に配属を決めました。

そこは先輩や友人からの噂ではとてつもなく評判の悪い研究室でした。

 

教授がヤ◯ザ並に怖い。寧ろ◯クザそのもの。

研究が忙しく全く家に帰れない。

教授に愛人がいる(?)

etc…

 

ただ、教授が就職に口を利いてくれるらしく、

気に入ってもらえれば良い会社に入れる可能性が高くなるとのことでした。

 

私はこの時、あまり夢や希望というものが無く、

取り敢えず大企業に入れば何かとチャンスはあるだろうと考えていました。

 

何となく将来の仕事として半導体関係の大企業に入れれば、

まあ何かいいじゃないかな~などと脳天気に考えていました。

 

また、これまでこれといって長所のない自分。

キツイとはいえこの研究室で頑張れば自分も変われるのでは?とも考えていました。
キツイの寧ろバッチコイ!

でも、そこは本気でキツかったのです。。。

 

教授が中途半端な知識しかなく、そもそも教えてくれない。

その割には頻繁に研究の中途報告をさせられる。

報告会では皆の前で教授からのキツイ言葉を浴びせられます。

中途半端な知識の教授に憶測のような考えを押し付けられ、

反論しようものなら罵倒される・・・

私も何度も心をへし折られました・・・

 

教授の考えは全然納得出来るものではなかったのですが、

ある意味非常に熱心であり、強烈なポリシーを持っていました。

そんな教授を如何に話を通すのか?

徐々にそんなことに腐心することになりました。

 

ちゃんとした指導は得られないため、

独学で半導体のことを学んだり、先輩に教えて頂き、

何とか研究を進めていました。

 『何のために高い学費を大学に払っているのか?』

そんな疑問が常に頭に過ぎっていたことを思い出します。

 

そんな不満ばかりの環境でも、私は研究を通し、

少しづつ『ものづくり』への興味が湧いていったのです。

 

半導体の研究を続けたいという気持ちに加え、

そこの教授が学生の就職先に関し、大きな決定権を持ってたこともあり、

私は大学院への進学を決め、結局その研究室に3年間も居座り続けたのです。

 

<さらに続く研究生活>

ノーテンキな大学時代

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一浪までしたのにもかかわらず希望していた地元の大学に行けなかった私は、

私はなんとも言えない敗北感にまみれ、

上京し東京の大学に通うことになりました。

 

『これからどうなるのだろうか?』

『一流の大学に入れなかった自分の人生はもうダメなのだろうか・・・』

 

今思うと大学に失敗したから人生が終わりなんて馬鹿げた話ですが、

当時の私は本当にそう考えていました。

入学したのは一応工学系の大学だったのですが、

中学時代に抱いていたエンジニアの夢も徐々に薄れていったように思います。

 

ともあれ大学生活が始まりましたが、

なんとなしに決めていたことがありました。

高校時代、深夜ラジオから音楽好きになり、CDを買い漁っていた私は、

楽器を弾けるようになりたいという淡い野望(?)を抱いていました。

そして『バンドを組んで、プロデビューか??』

そんなことを考え、軽音楽部に入部したのでした。

 

軽音楽部に入ったものの、周りは経験者ばかり。

楽器にろくに触ったことも無い私。

そんな私は部内に少ないという理由のみでドラム担当に。

実はギターをやりたかったのですが、それではバンドに入れてもらえません。

しぶしぶドラムをやることになったのですが、衝撃の事実が発覚します。

私は壊滅的にリズム感が悪かったのです。

練習の度にメンバーに説教されることに・・・

一年位続けていましたが、ドラム自体そこまで興味がなかったのもあり、

全然上達せず、軽音楽部にも足を運ばなくなってしまいました。

当時抱いていた淡い夢を私はあっさりと諦めてしまったのです。

それ以降は

授業→バイト→自宅でゲーム

という、またしても盛り上がりのカケラも無い大学生活をおくってしまったのです。

 

ノープランなダラダラとした生活を繰り返していたのですが、

そんな生活をいつまでも続けるわけにはいきません。

大学4年ともなると工学系学生は研究室に入り、

就職するか、大学院に進むかの選択をしなくてはいけません。

 

さらに研究室の選択がその後の入社する会社の方向性を決めるということもあり、

かなり重要な時期です。

 

この時、相変わらず私は何も考えていませんでしたが、

友人が半導体の研究をしたいという話を聞き、こう思いました。

 

半導体っ!よく分からないけどなんか知的で面白そうだ〜っ!!』

 

私はなんとなくのイメージで半導体を扱う研究室に入ることにしたのです。

この時の選択がその後の人生を決めることとは知らずに。

 

<まだダラダラと続きます>