劣悪な研究室時代(大学4年~大学院)
大学4年時、
私はよく考えないまま、ノリで半導体を扱う研究室に配属を決めました。
そこは先輩や友人からの噂ではとてつもなく評判の悪い研究室でした。
教授がヤ◯ザ並に怖い。寧ろ◯クザそのもの。
研究が忙しく全く家に帰れない。
教授に愛人がいる(?)
etc…
ただ、教授が就職に口を利いてくれるらしく、
気に入ってもらえれば良い会社に入れる可能性が高くなるとのことでした。
私はこの時、あまり夢や希望というものが無く、
取り敢えず大企業に入れば何かとチャンスはあるだろうと考えていました。
何となく将来の仕事として半導体関係の大企業に入れれば、
まあ何かいいじゃないかな~などと脳天気に考えていました。
また、これまでこれといって長所のない自分。
キツイとはいえこの研究室で頑張れば自分も変われるのでは?とも考えていました。
キツイの寧ろバッチコイ!
でも、そこは本気でキツかったのです。。。
教授が中途半端な知識しかなく、そもそも教えてくれない。
その割には頻繁に研究の中途報告をさせられる。
報告会では皆の前で教授からのキツイ言葉を浴びせられます。
中途半端な知識の教授に憶測のような考えを押し付けられ、
反論しようものなら罵倒される・・・
私も何度も心をへし折られました・・・
教授の考えは全然納得出来るものではなかったのですが、
ある意味非常に熱心であり、強烈なポリシーを持っていました。
そんな教授を如何に話を通すのか?
徐々にそんなことに腐心することになりました。
ちゃんとした指導は得られないため、
独学で半導体のことを学んだり、先輩に教えて頂き、
何とか研究を進めていました。
『何のために高い学費を大学に払っているのか?』
そんな疑問が常に頭に過ぎっていたことを思い出します。
そんな不満ばかりの環境でも、私は研究を通し、
少しづつ『ものづくり』への興味が湧いていったのです。
半導体の研究を続けたいという気持ちに加え、
そこの教授が学生の就職先に関し、大きな決定権を持ってたこともあり、
私は大学院への進学を決め、結局その研究室に3年間も居座り続けたのです。
<さらに続く研究生活>
ノーテンキな大学時代
一浪までしたのにもかかわらず希望していた地元の大学に行けなかった私は、
私はなんとも言えない敗北感にまみれ、
上京し東京の大学に通うことになりました。
『これからどうなるのだろうか?』
『一流の大学に入れなかった自分の人生はもうダメなのだろうか・・・』
今思うと大学に失敗したから人生が終わりなんて馬鹿げた話ですが、
当時の私は本当にそう考えていました。
入学したのは一応工学系の大学だったのですが、
中学時代に抱いていたエンジニアの夢も徐々に薄れていったように思います。
ともあれ大学生活が始まりましたが、
なんとなしに決めていたことがありました。
高校時代、深夜ラジオから音楽好きになり、CDを買い漁っていた私は、
楽器を弾けるようになりたいという淡い野望(?)を抱いていました。
そして『バンドを組んで、プロデビューか??』
そんなことを考え、軽音楽部に入部したのでした。
軽音楽部に入ったものの、周りは経験者ばかり。
楽器にろくに触ったことも無い私。
そんな私は部内に少ないという理由のみでドラム担当に。
実はギターをやりたかったのですが、それではバンドに入れてもらえません。
しぶしぶドラムをやることになったのですが、衝撃の事実が発覚します。
私は壊滅的にリズム感が悪かったのです。
練習の度にメンバーに説教されることに・・・
一年位続けていましたが、ドラム自体そこまで興味がなかったのもあり、
全然上達せず、軽音楽部にも足を運ばなくなってしまいました。
当時抱いていた淡い夢を私はあっさりと諦めてしまったのです。
それ以降は
授業→バイト→自宅でゲーム
という、またしても盛り上がりのカケラも無い大学生活をおくってしまったのです。
ノープランなダラダラとした生活を繰り返していたのですが、
そんな生活をいつまでも続けるわけにはいきません。
大学4年ともなると工学系学生は研究室に入り、
就職するか、大学院に進むかの選択をしなくてはいけません。
さらに研究室の選択がその後の入社する会社の方向性を決めるということもあり、
かなり重要な時期です。
この時、相変わらず私は何も考えていませんでしたが、
友人が半導体の研究をしたいという話を聞き、こう思いました。
『半導体っ!よく分からないけどなんか知的で面白そうだ〜っ!!』
私はなんとなくのイメージで半導体を扱う研究室に入ることにしたのです。
この時の選択がその後の人生を決めることとは知らずに。
<まだダラダラと続きます>
誕生〜高校時代
まず始めに、『私』について簡単に自己紹介したいと思います。
私は今から40年近く前、とある地方都市で生まれました。
やや厳し目の公務員の父と、とにかく元気な母の元で、普通に育ちました。
普通に幼稚園に行き、普通に小学校に通いました。
当時大流行したドラゴンボールやドリフを毎週楽しみにし、
ファミコンで友人と遊び、
それなりに勉強し、それなりの点数を取っていました。
将来については特に希望も無かったのですが、
なんとなく『モノを作ったり、発明したりしたい』なんてことを考えてしました。
初めて将来について具体的に考えたのは、中学校の時です。
恐らくなりたい職業について調べて提出するという宿題が出ていたと思います。
そこで私は『営業は内気な自分には無理だし、何となくものづくりをしたい』と
何となく思い、取り敢えず『エンジニア』と記入し提出しました。
この時の何となくの思いはそれからずっと持ち続けることになります。
特に盛り上がるイベントも無く、
授業→部活→ゲームなんてことを繰り返しているうちに
あっという間に中学3年間は終わりに近づき、高校受験することになりました。
明確な夢や希望が無かったので、
『取り敢えずある程度レベルの高校に行こう。』と考え、
そこそこに勉強し、そこそこの高校に受かりました。
高校3年間はさらに盛り上がることは無く、
授業→部活→ゲームという生活をひたすら繰り返していました。
(正直あまり記憶も無いです・・・苦笑)
この時、当時流行っていた
『赤坂泰彦のミリオンナイツ』や
『オールナイトニッポン』などの深夜ラジオに大ハマリし、
聞きながら勉強していました・・・
いや寧ろラジオの合間に勉強していたせいか、
恐ろしく成績が下がってしまいました。
入学当時TOP30位だったのが、一年後300位近くまで下がりました・・・
そんな状態は高校3年になっても続いてしまい、そのまま浪人に。
浪人の一年間、それなりに勉強しましたが、学力は思いの外上がらず、
なんとなく希望していた地元の国立大学に入れるわけもなく、
結局、自分の学力で入学できる工学系の大学に決定しました。
それは東京の大学であり、
自分は望んだわけでもないのに上京することになったのでした。
<続く>
『アラフォーおっさんの夏休み』について
今から10年以上前。
大学を卒業した私はとある半導体メーカーに入社しました。
それはそれは満ち溢れる希望を持って。
でもそれは、偏頭痛のような鈍い痛みを長い間味わい、
心が少しづつ削られていっていく日々の始まりでした。
徐々に苦しみが募っていったある日。
私は会社を辞めることを決意します。
その後のことを全く決めないまま・・・
その仕事を全くしていなかった時に
『何を考え』
『何をしていたのか』
それらを残しておきたくて、
似たような状況にいる人に伝えたくて、
このブログを作りました。
私は文才が全くないので、かなり蛋白で読みづらい内容になると思います。
でも、一読してもらって、貴方の今後の人生に何かしらプラスになれば幸いです。
テスト
只今、サイトの作り方を勉強しつつ工事中です。