若手エンジニア時代
部署配属され、私はいよいよ働き始めました。
『優秀な先輩方とともに切磋琢磨し、特許もたくさん発表し、
たくさんの人に使われる製品を世に出すぞ!!!』
私は当初相当に意気込んでいました。
しかし、私が配属されたチームは溢れかえる私のヤル気とは反して
かなり緩~い雰囲気なのでした。
- 週に何度も呑み会がある
- 基本的に仕事が振られないので暇
- 頑張っていると『そんなに頑張らなくていいよ』と諭される
今となって考えてみると非常にイイカンジの部署でしたが、
滅茶苦茶頑張る気マンマンだった私は出鼻をくじかれる思いでした。
あまりにも暇だったので、週一でグループのリーダに
『いい加減仕事下さい。。。』
などと言っていたものです。
※それでも仕事はくれませんでしたが・・・
当初はそんな感じで暇々な毎日だったのですが、そんな生活はいつまでも続きません。
二年目になるとこれまで仕事で得てきた内容を
重役の前で発表するといったイベントがあるのです。
さすがにこれまでろくに仕事が無かった私にも
このイベントに向けてある程度、骨のあるミッションが与えられました。
それはある新製品に搭載するIPの設計でした。
仕様設計から始まり、CAD上での設計データの作成、実機での評価などを
ようやく携わることが出来たのです。
全てが初めてだったので、滅茶苦茶大変でしたが、
その中でも設計の楽しさを感じていました。
毎日深夜まで設計!検証!評価!
あまりにも頑張りすぎて体を壊してしまったりもしたのですが、
何とか形にして発表まで漕ぎ着けたのです。
私は人前で発表するのが大変苦手でしたが、
なんとか発表を終わらせることが出来、ようやく一人前になった気がしました。
※今思い返すとまだまだ半人前でしたが・・・
これ以降色々な人と色々な仕事に携わり、設計者として技術を磨いていきました。
その中で何件が特許も発表することが出来ました。
自分は何となく
『100%マンゾクな人生なわけじゃないけど、
このまま半導体設計者として人生を歩んでいくのだな・・・』
と、仄かな諦めとそこそこの満足感を抱きつつ毎日を過ごしていたのです。
しかし、私はその考えを後に改めることになってしまいます。
当時、日本の半導体業界は徐々に状況が悪くなっていった真っ最中でした。
業界では対応するために分社化やM&Aが盛んになっていきました。
私が所属していた会社も例外ではなく、
徐々に社員にまで影響が出てくるようになります・・・