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生き方追求ブログ

色々試行錯誤しながら自分自身の生き方をマイペースに追求するブログなのです。

さようなら、私の好きだった会社

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早期退職の募集があってから、直ぐ様、退職届を提出しました。

 

その後、当たり前ですが、課長に呼び出しをくらいました。

君は評価高いのに何で辞めるんだ!?

とか、仰ってくれました。

コメントは嬉しかったのですが、

評価高いのと、私の考えとは全く関係無いなので、退職は覆りません・・・

 

しばらくして退職が受理されました。

当時は会社の売上に対し明らかに社員が大量にいたため、

評価の高い低いに関係なく、ドラスティックに退職が決定されたみたいです。

一部では退職勧告されて辞めさせられている人もいましたが、

退職する私自身、『会社の状況を考えると止む得ない。』と思っていました。

それだけ会社の経営は誰が見ても破綻していました。

 

退職が決定すると仕事をおざなりにして、さっさと大量に有給を取る人もいますが、

私はお世話になった会社に恩返しのつもりで、

最後の一踏ん張り!』と、少しだけヤル気を出して頑張りました。

半導体の設計をするのもこれで最後だから・・・』という想いもあったと思います。

会社を辞める一ヶ月前なのに、仕様のことで他部署の方と揉めてしまいましたが、

負けじと自分の意見を通したりもしました。

とにかく、『立つ鳥跡を濁さず』。

退職日まで自分が出来ることを綺麗に終わらせるつもりで頑張りました。

 

そうしている内に社内でも退職者が公表されました。

周りの方は私が辞めることを惜しんでくれ、

なんで君が辞めるんだ!?』という問い合わせが殺到しました。

わざわざ私の席まで来てくれて、絶句する人もいました。

仕事の進め方が悪く、いつも関係者に迷惑かけていた自分でしたが、

一応、気にかけてくれる人がたくさんいたことに気付かされました・・・

 

 

仕事も一通り片付け、いよいよ最終出勤日になりました。

近所の洋菓子屋で高めのお菓子を持参し、お世話になった人々に挨拶をします。

 

周りから見ればよく分からない理由で辞めてしまう自分だったと思いますが、

早くやりたいことが見つかればいいね!

と、励ましてくれる方もいれば、

君の仕事の進め方はこうするともっといいよ。

と、アドバイスをくれる方もいました。

当時のチームリーダはちょっと涙ぐみつつ、

ホント頑張れよっ!

とベチっと腕を叩かれて、激励されました。

 

席にいない人にはお礼を一言書き添えた付箋を貼ったお菓子を置いておきましたが、

中にはそれを見つけて、私の席までねぎらいの言葉を

言いに来てくれる方もいらっしゃいました。

辛い会社生活でしたが、一緒に仕事をしてきた方には感謝の気持ちで一杯でした。

 

挨拶も済み、いよいよ終業時間となりました。

 

当時のチームの皆さんに最後の挨拶をし、総務に社員証を返却し、

社員用入り口に向かいます。

 

会社警備員『お疲れ様でした。

 

私は軽く会釈して社員用入り口を出ます・・・

 

『・・・』

 

この【お疲れ様でした。】を聞くのも最後なんだな・・・

 

この通路を歩くのも最後なんだな・・・

 

この建屋に入ることは二度と無いのだな・・・

 

『・・・』

 

そんなことを考えていたら、が出てきました。

 

私はこの会社が好きでした。

 

会社のために私なりに一生懸命頑張ってきました。

 

その会社をこんなに早く辞めるとは思いもしませんでした。

 

色々な思いが溢れ、涙が止まりません。

 

この後、同期がささやかな送迎会を開いてくれましたが、

開始時刻まで近くのレストランで涙を収めるので必死でした・・・

 

同期の送迎会では最後に胴上げをしてもらいました。

この胴上げは最初の同期が辞める時、

私が皆に提案してやり始め、

それ以降退職する同期がいると毎回実施していました。

まさか自分がされる時が来るとは考えてもいませんでした。

 

そんなこんなでついに私は正式に会社を辞めてしまったのです・・・

 

そして退職へ~目指せダウンシフター~

退職することを決めた私ですが、今後どうすれば良いか分からず、

地を這うナメクジのようなモチベーションで仕事を続けていました。

 

そんなある日、適当に仕事を切り上げ、

自宅に戻った私は何気なくTVをつけた際、とある番組の人物に釘付けになります。

 それが、減速して生きるMr.ダウンシフターズこと髙坂勝氏でした。

  

ameblo.jp

 

一流企業を辞め、週4日のバーを営み、その他の時間は自分の好きなことに使う。

競争社会から降り、収入は減るけど、その分自分の好きなことに時間をかける、

ダウンシフトという生き方。

『こんな生き方許されない』とまで考えていた私には衝撃でした。

目から鱗が取れたとはまさにこのこと。

 

ろくに本も読まない私でしたが、直ぐ様、髙坂勝さんの本

『減速して自由に生きる: ダウンシフターズ (ちくま文庫)』

を読みました。 

減速して自由に生きる: ダウンシフターズ (ちくま文庫)

減速して自由に生きる: ダウンシフターズ (ちくま文庫)

 

 

髙坂さんの本では企業を辞めてから、どのようなことを考え、

如何にバーの経営を初めたのか、非常に具体的に記載されていました。

 

ダウンシフトという生き方。

是非自分もチャレンジしてみたい。

ダウンするのにチャレンジとは如何に。。。

 

その後、

『本気で辞めたくなったら会社辞めてしまってもいいか・・・』

という思いが生まれ、少し気持ちが楽になり、

多少は仕事へのモチベーションを上がりました。

 

髙坂さんの本を2ヶ月ほどかけようやく読んだあと、

意を決して髙坂さんのお店『たまにはTSUKIでも眺めましょ』に行くことにしました。

※以下髙坂さんのお店は『たまTSUKI』

 

『たまTSUKI』は池袋駅から20分ほど歩いた、

非常にわかりづらいところにありましたが、

Googleマップを駆使し、何とかお店の前に着きました。

 

『TVのまんまだ・・・』

 

既に店内には明かりが着き、営業しているようでしたが、緊張して入れません・・・

お店の周りを10分ほどウロウロしてようやく意を決して入りました。

 

入るとそこにはTVで見たままの髙坂さんがっ!

アタフタしていると、髙坂さんから

ここ初めて??

と言われ、私は頷きます。

 

靴を脱ぎ、カウンターに座ります。

メニューを見ても良く分からないので、

適当にビールとオススメされたものを注文します。

 

BARに行ったこともろくに無かったのに加え、

髙坂さんが目の前に居ることでさらに緊張に拍車がかかりました。

 

取り敢えず、ビールで緊張を抑えながら、

注文した野菜盛りなどの料理を頂きます。

 

う、うまいっっ!

『たまTSUKI』ではオーガニックな食材を中心にメニューが組まれており、

初めて食したその味に感動しました。

 

お腹をある程度落ち着かせたところで、

髙坂さんから『たまTSUKI』に来た理由を尋ねられました。

『今の会社でやり甲斐が見いだせなくて・・・』

髙坂さんとはあまり話せませんでしたが、少し私の状況を話しただけで

そんな会社辞めたほうが良いよ!

と言ってくれました。

なんの根拠も無かったとは思いますが、

自分に味方が出来たようでとても嬉しかったのは覚えています。

 

その日は他に来ていたお客さんとも話をさせて頂きました。

 

皆さん、何か悩みを抱えているようでしたが、

話しているうちにみんな笑顔になっていきました。

 

私は嬉しくて、楽しくて、飲みすぎてしまい、

泥酔してトイレを汚してしまいました(苦笑)

※後日、陳謝いたしました(汗)

 

その後、髙坂さんとはメールでやり取りをさせてもらい、

『辞める勇気』、『人生を選択する勇気』を頂きました。

 

それから何の因果かタイミング良く(?)会社で早期退職の募集がかかりました。

今回、さらに対象者の年齢が下がり、私も応募出来る権限がありました。

 

その通知を見て、今後のことは何も決まってはいなかったのですが、

私は何の迷いもなく、退職願を出したのでした。。。

 

会社員時代末期・・・

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内部の罵り合いは日常茶飯事。

業務内容も効率化のため、徹底的に分業化され、

モノづくりの面白みは無くなり、

製品の売上は減る一方・・・

自分が作った製品をユーザーは使ってくれなくなっていく・・・

 

そのような状況で徐々に私のモチベーションは奈落の底まで落ちていっていきました。

特に『仕事=人生のミッション』とまで考えていた私は

この状況の中、人生の意義を見いだせなくなっていました。

 

実はこの時、密かに転職活動もしていました。

転職エージェントから仕事をいくつか紹介して頂きましたが、

『会社が変わったとしても

 今と同じ状況になる可能性は十二分にあるから、

 結局今と本質的には変わらないのじゃないか??』

という思いが拭えず、転職することはありませんでした。

 

そんなこんなで、うだうだと、悶々として毎日を過ごしていたのですが、

そんな私の気持ちを会社から離す決定的なことが起きます。

 

状況が悪くなっていく中、

会社は社員全員にインバスケットという研修を受けさせます。

短時間に問題のクリティカルな課題を抽出し、

短時間に解決する能力を測る研修です。

 

さらに問題を解くだけはなく、

自分の検討内容を皆の前で発表し、

内容についてディスカッションするという流れでした。

 

その場には後ほど内容を査定するためにカメラが置いてあり、

それを操作する無愛想なおっさん(失礼)がいて、

その前でプレゼンをしなければいけないのでした。

 

幾人かの後に私の番が来て、プレゼンを始めたのですが、

心の中でこんなことを考えていました。

 

『なんでこんなカメラの前でプレゼンさせられてんだ??

 今、必要なことってこんなことなのか??

 ああ・・・もう無理だ・・・会社を辞めよう・・・』

 

研修自体は決して悪いものではなかったのですが、

会社が『人』よりも単純に『仕事の処理能力』を重視する方針に変わっていくように

私には感じられ、自分はもうついていけないと思わさせられたのです。

 

『こんな方針に進んでいくならば、

 ヤル気のない自分は会社に必要ないし、

 辞めたほうが会社にとってもいいのだろうな・・・』

 

貯まるに貯まった私の辞めるメータの閾値はこの時超えてしまったのです。

 

でも、辞めてどうする?転職?

 

そんな中、私の価値観を根底から覆すある人を知ることになるのです・・・

 

中堅エンジニア時代~忍び寄る現実~

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入社して数年経ち、

私は中堅エンジニアと言っていいほどの技術を身に着けていました。

製品チーム内でも重要なブロックを一任されるほどの信頼も得ており、

充実したエンジニア生活を送っていました。

 

しかし、ある異変も感じていました。

開発した製品の売上状況について

ミーティングで報告される時があったのですが、

徐々に下がっているようであり、どうも芳しくない・・・

新しい製品を開発する時も第一目標はとにかく原価低減。

目立った新規技術も無いローコスト版。

『なんかおかしいぞ・・・これで他社に勝てるのか?』

そんなことを私も感じていたのですが、実際の状況はもっと酷かったようです。

 

それまでは私の担当していた製品はあるカテゴリにおいて

圧倒的なシェアを誇っていたのですが、

他社に技術的に徐々に追いつかれ、負けてしまう寸前の状態でした。

そんな状況でマーケティングチームの出した方針は

『コストを抑え、価格で勝負!』でした。

しかし、その後、他社に技術的にも決定打となる製品を出されてしまい、

私がいたチームはその分野から徹底を余儀なくされました。

 

それまで私は深夜、

それこそ日付が変わってからも仕事をし続ける毎日を送っていました。

でも、頑張ったとしても価値のあるものを作らないと、

使ってもらえないということについて知らしめられました。

 

『価値のあるコトに対して、エネルギーを注ぐ』

今になって振り返るとそれが重要だったと思います。

 

その後、私が担当していた製品だけでなく、

会社としても徐々に売上が下がっていきました。

M&Aを行い会社名が変わったり、

分野の撤退やある部門の分社化もしましたが、

 効果が無く、状況が好転することはありませんでした。

 

そして、ついに会社は禁断の決断をすることになります。

そうです。

リストラです。

ある一定の年代以上に対し、リストラの勧告がなされました。

徐々に周りの年配の方々が消えていきました。

お世話になった先輩や上司も会社を去っていきました・・・

 

そんな中でも私は製品開発を続けていましたが、

以前経験した撤退以降、感じていたことがありました。

『自分は本当に価値のあるモノを作っているのだろうか?』

『単に叩き売りされるようなモノを作っていないか?』

『本当に自分の人生をかける仕事をしているのか?』

会社の状況に加え、そんな疑問を抱えるようになり、

私のモチベーションも徐々に下がっていきました。

 

それに合わせて、さらに私のモチベーションを下げることが発生します。

会社の雰囲気が悪くなっていき、

部署間やチーム間で罵り合いや揉めることが多くなっていったのですが、

ついには同じ部署内でも罵り合いや暴言を聞くようになっていきました。

間接的に自分への批判をわざと聞こえるように言う輩もいました。

 

『何のためにこの仕事をしているのか?』

私は仕事の意味が見いだせず、心が折れる寸前でした・・・

 

若手エンジニア時代

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部署配属され、私はいよいよ働き始めました。

『優秀な先輩方とともに切磋琢磨し、特許もたくさん発表し、

 たくさんの人に使われる製品を夜に出すぞ!!!』

私は当初相当に意気込んでいました。

 

しかし、私が配属されたチームは溢れかえる私のヤル気とは反して

かなり緩~い雰囲気なのでした。

 

  • 週に何度も呑み会がある
  • 基本的に仕事が振られないので
  • 頑張っていると『そんなに頑張らなくていいよ』と諭される

 

今となって考えてみると非常にイイカンジの部署でしたが、

滅茶苦茶頑張る気マンマンだった私は出鼻をくじかれる思いでした。

あまりにも暇だったので、週一でグループのリーダに

『いい加減仕事下さい。。。』

などと言っていたものです。

※それでも仕事はくれませんでしたが・・・

 

当初はそんな感じで暇々な毎日だったのですが、そんな生活はいつまでも続きません。

二年目になるとこれまで仕事で得てきた内容を

重役の前で発表するといったイベントがあるのです。

 

さすがにこれまでろくに仕事が無かった私にも

このイベントに向けてある程度、骨のあるミッションが与えられました。

それはある新製品に搭載するIPの設計でした。

仕様設計から始まり、CAD上での設計データの作成、実機での評価などを

ようやく携わることが出来たのです。

全てが初めてだったので、滅茶苦茶大変でしたが、

その中でも設計の楽しさを感じていました。

毎日深夜まで設計!検証!評価!

あまりにも頑張りすぎて体を壊してしまったりもしたのですが、

何とか形にして発表まで漕ぎ着けたのです。

私は人前で発表するのが大変苦手でしたが、

なんとか発表を終わらせることが出来、ようやく一人前になった気がしました。

※今思い返すとまだまだ半人前でしたが・・・

 

これ以降色々な人と色々な仕事に携わり、設計者として技術を磨いていきました。

その中で何件が特許も発表することが出来ました。

自分は何となく

100%マンゾクな人生なわけじゃないけど、

 このまま半導体設計者として人生を歩んでいくのだな・・・

と、仄かな諦めとそこそこの満足感を抱きつつ毎日を過ごしていたのです。

 

しかし、私はその考えを後に改めることになってしまいます。

当時、日本の半導体業界は徐々に状況が悪くなっていった真っ最中でした。

業界では対応するために分社化やM&Aが盛んになっていきました。

私が所属していた会社も例外ではなく、

徐々に社員にまで影響が出てくるようになります・・・

 

ついに始まった会社生活

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なんとなく半導体の研究室に入った私は色々経験した後、

一応、第一候補半導体メーカの内定をゲットすることが出来ました。

この時は『本当にやったぞっ!!!!』と思ったものです。

 

内定が決まり親に連絡したところ、

『あまり有名じゃなくてもお前がやりたい会社だったら一生懸命頑張るのだよ・・・』

と言われました。

そこそこ業界内では有名な会社だったのですが、

一般にはあまり知られていなかった会社だったので、

親は小さいベンチャー起業の内定をとったと思ったようです。(苦笑)

 

何はともあれ無事大学院も卒業した私は、

希望を胸に抱きつつ半導体メーカに入社しました。

 

内定式、同期の仲間、寮生活。。。

入社当初は本当に楽しかった記憶しかありません。

と言うのも、研修ばかりで仕事もなく同期と遊ぶ毎日でしたからね!!(苦笑)

 

とは言え、そんな楽しい時間はいつまで続く訳ではありません。。。

入社して一ヶ月もすると部署に配属されます。

私は当初希望していた部署があったのですが、

第一希望ではない部署に配属されました。

多少凹みましたが、

『仕事のエッセンスは一緒だろう。』

と気持ちを切り替え、

『優秀な先輩達から色々を教えてもらい、

 最高の環境で仕事を一生懸命頑張って、

 絶対良いモノをつくり上げるぞ!!

 これからが自分の人生の始まりだぁっ!!!!』

と、胸をときめかせたのです。

 

でも現実は自分の予想と違っていたのです。。。

大学院生活、インターン、そして就職へ

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学部生での卒論は熾烈を極めるものでしたが、

院生になると教授は我々学生に研究のススメ方を任せ、

その指導の矛先を新たな学部生に対し向けるようになりました。

おかげ様で私は悠々自適な研究生活を送っておりました。

 

そんな中、とあるメーカから研究室へインターンの勧誘があり、

何の因果か私もそのメンバーの一員に選ばれました。

しかもナント海外です。

良い経験ができると考え、

教授から打診された際、私は二つ返事で行くことを決めました。

 

現地に飛び、実際にインターンが開始したのですが、

そこでの上司の方はノープランだったらしく、

具体的な業務に着くことはありませんでした。

ですが、毎日、社内のミーティングに参加させてもらったり、

現地のエンジニアとディスカッションさせてもらったりなど、

とても良い経験をすることが出来ました。

(苦手な英語でのコミュニケーションはかなり大変でしたが・・・)

特に印象に残っているのは、インターン中のお世話になった上司との会話です。

仕事に対する考え方や、業務上の喜びや大変なことなど教えてもらいました。

特に今でも心に残っているのは、以下の言葉です。

 

『会社で働く人のモチベーションは異なる。

 仕事に対して全身全霊をかける人もいれば、

 仕事はホドホドにして、家族との時間を重視する人もいる。

 その両方の価値観を認めることが必要だ。』

 

当時は自分が仕事するなら、全身全霊をかけたいと思っていたのですが、

今ならこの言葉が納得できます・・・

 

ですがこの時の経験がより一層、

『会社でエンジニアとして働きたい!!』

という思いに拍車をかけることになりました。

 

その一年後、私は就職活動をし、ある会社に入社します。

国内のとある半導体メーカーです。

海外インターンの経験を胸に、インターン時の上司を目指し、

一流のエンジニアになろうと、意気揚々とその会社の門と叩いたのです。

その後、どんな人生が待っているか知らずに・・・